医療について
診療所におけるナラティブ
ナラティブ(Narrative)は人文学の領域から出てきた用語で、「物語」や「語り」を意味します。わたしが、このナラティブという言葉に興味をもったきっかけは、父の「語り」でした。
1998年から現在の診療所で私は父と共に働くようになりました。父はなるべく仕事を私に譲り、私の仕事の内容に余計な口出しをせず、そっと遠くから見守るよう心掛けているようでした。患者さんの中には医師の意見に全く耳を傾けない人やどこか悲しげな表情の方など様々おられます。そのような患者さんに接すると、何か釈然としない思いや戸惑いを覚えることがありました。そんなとき、患者さんの診療を終えた私に父はぽつりぽつりとその患者さんのことを話してくれました。それは父の視点からみた患者さんの「物語」であったり、患者さんの家族の「物語」であったりしました。そして父がどのような思いや考えで患者さんの診療に取り組み、どのような経過をたどったのか、医師の立場で語る「物語」も話してくれました。そのような語りに耳を傾けているうちに、私はいままでしらなかった患者さんの生活者としての姿に触れたり、手詰まりを感じた自分の診療にいくつかの示唆を得たりしました。また、ときには患者さんの方から私に父とのいろいろな思い出を語ってくれることもありました。
このように私たち医療従事者が働く臨床の現場では多くの「語り」に出会います。残念ながら、ときに急患の対応に追われる多忙な外来では患者さんの語りに耳を傾ける余裕はなかなかもてません。しかし、大規模な病院に比較すると診療所は近隣の患者さんが多いため、私たちは患者さんだけでなく、その家族と接する機会に恵まれます。そして長期間にわたっての付き合いになることも少なくありません。このような診療所の特性をいかしつつ、ナラティブを介して自分の診療を見つめなおす作業を継続したいと思います。
祖父の話
私が医師になってまだ4年目のある日のこと、同じく内科医であった母方の祖父と夕食を共にしました。そのとき祖父が宗教についてどう思うか、と私に問いかけてきました。当時の私は宗教に全く関心がなく、何かうさんくさいイメージしか持ち合わせていませんでした。そこで幼い頃に観た、イエスキリストが主人公の映画を思い出しながら、キリストは失明や麻痺などの重い病人をただ体に触れるだけで次々に治したが、あんなものはいんちきではないか、と答えました。すると祖父はメモ紙にKriegsneuroseと書き、「独語で戦争神経症という意味だよ」と次のように語り始めました。
祖父は昭和13年より16年まで小倉陸軍病院に軍医として勤務しました。この病院は前線で病気になり、戦闘不能になった患者を受け入れていましたが、それらの中にヒステリー*の病像を示すものが少なからずいました。最も多かったのは立ち上がれなくなったり、歩けなくなったりする下肢の運動障害でした。祖父はドイツの医学書を調べてKriegsneuroseの記載をみつけ、それを参考にして治療に取り組み始めました。最初に行ったのは、動かなくなった筋肉を他動的に動かし、失った筋肉の感覚を患者に思い出させることでした。たとえば起立できない患者の膝を押え、腰や胸を保持します。倒れては起こし、また倒れても立ち上がらせることを丹念に繰り返したそうです。また手が動かなくなった患者には毎日付き添って、手の運動を介助しました。祖父は「このように扱うのだ」と話しながら、わたしの手をやさしく包み込み、一本一本の指を丁寧に伸ばしていきました。このような治療が功を奏したのか、一人二人と患者が改善していきました。次に祖父は集団的治療に取り組むようになりました。集団内での生活態度や動作、談話などを節度あるものにさせるよう指導し、体操を課して身体的訓練を行いました。この集団的治療は大変効果があり、多数の患者が速やかに治癒し、それを実際に目撃した他の患者もどんどんよくなったそうです。祖父はこれらの症例をまとめたものを九州沖縄軍陣医学会で発表しましたが、上官より「帝国陸軍にはこのような軟弱者はおらん」と一喝され、取り合ってもらえなかったそうです。食事も片付いたので祖父はそこで話を打ち切りました。
あのとき祖父が私に伝えたかったことは何だったのだろうか・・・あの時の会話を思い出す度にふと私は考え込むようになりました。宗教でみられる奇跡を単にヒステリーで説明しようとしただけなのでしょうか?祖父が86歳で亡くなった後、私は祖父の診療所を訪れ、発表をまとめた資料を探し出しました。それによれば患者558名中111名、つまり全体の約2割も戦争神経症が占めていました。戦争では厳しい軍の規律に耐え、疲労の蓄積や栄養失調等、様々な場面でまさしく“自己破壊の危機”にさらされます。このような極限状態に立たされれば、いつ精神的破綻をきたしても不思議ではありません。戦争はそのような過酷な状況に人間を追い込んでしまうのでしょう。そんな人間の弱さや脆さについて祖父は私に伝えたかったのかもしれません。
*ヒステリーとは明確な身体的原因がないにもかかわらず、精神的なストレスやトラウマが原因で発生する身体的な異常のことを指します。現在はこのような病名はなく転換障害、解離性障害などがこれに該当すると思われます。
診療時間・アクセス

- ※ ○:代診の先生(主に九大病院第二内科医師)が診察いたします。
- ※ 新型コロナウィルスの感染状況に応じて、感染症の患者さんを中心に診察する時間帯を設けます。予約をせずにその時間帯にご来院されてもお断りする場合がありますので、ご了承ください。まだ予約されていない方は電話連絡の上ご来院ください。
- ※ 12時より13時40分は予約の電話を受け付けておりませんので、よろしくお願いします。
FAX. 092-682-4091
ご予約・お問い合わせ
TEL.092-681-7363ご来院方法
西鉄バスのバス停「舞松原」、もしくは「八田団地」より徒歩5分
大きな地図で見る >

